こんにちは!ウチの部屋へようこそ!
今回はマンガの神様、手塚治虫先生の最高傑作とも呼ばれる「ブッダ」の感想を通して、この作品についてお話していきたいと思います!
手塚治虫、と言えば東西知らぬ者なしというほどの著名な漫画家です。
代表作は「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「ブラックジャック」「火の鳥」「リボンの騎士」「どろろ」「三つ目がとおる」などなど、もう数え切れません。
どれか一つは知っている作品があるのではないでしょうか?
今回はその中でも「ブッダ」について、劇中でのこの場面、このセリフにはグッと来た、ということに絞ってお話したいと思います。
僕の人生に大きな影響を与えた、と言っても過言ではない作品です。
一度ご覧いただければ、そのすごさ、すさまじさ、面白さを感じていただけるのではないかと思います。
それでは、行ってみましょう!
手塚治虫のブッダの感想と名場面をご紹介!
この作品はブッダの一生、生まれてから息を引き取るまでを描いた作品です。
内容はまさに大河ドラマ。骨太の見ごたえある作品です。
インドの王家、シャカ族の王子として生まれたシッダルタが王家一族を捨てて出家し、悟りを開きブッダと呼ばれるようになるまで。そして、その教えを広めてゆく旅路を描いていきます。
どんな人でも、人の人生は波乱万丈、紆余曲折、曲がりくねった道を歩いて行くようなものですが、この作品には心打たれる名場面が本当に沢山存在します。
まずはそちらを2つご紹介したいと思います。
ブッダの語る『人の苦しみ』とは
「あらゆる苦しみはかならず原因から生まれる
ブッダはそれらの原因を解き明かされる…
あらゆる苦しみはかならずとめることができる
ブッダはそれらの止める方法を解き明かされる…」
これは物語の終盤、ブッダが弟子のアナンダを修行の一つとして、予知能力を持つ人を探す旅に出した時のことです。
旅の途中で、別の教団の僧侶であるサーリプッタに出会った折、ブッダの教えとはどういったものか?と問われて答えたのがこの言葉です。
仏教思想の根幹と言われる自業自得の考え方ですね。
僕は初めてこの場面を見た時は小学生の高学年くらいだったと思います。
そのころには、悟りを開いた人はこうやってモノを考えるのか、という、即物的な本当に浅い理解でした。
言葉面だけを追い、全く意味が解っていなかったのです。
ブッダが僕に教えてくれたこと
しかし、こんな出来事が起こるたびに人生の端々でこの言葉この場面を思い出しました。
- 「何でこんな辛い目に合うんだろう?」振り返った時
- 「あの時の○○が原因なんだ!」と思い当たった時
- 物事の原因に到達してトラブルが解決した時
こんな時、僕の人生の中で少しずつ大きな意味を持つようになりました。
結局は自分が原因なんだ。
人のせいにしたところで何にもならないんだ。
こういう気付きを得ることが出来たからです。
ブッダの悟り
木や草や山や川がそこにあるように人間もこの自然のなかにあるからにはちゃんと意味があって生きている
あらゆるものと…つながりをもって!
もし おまえがいないならばなにかが狂うだろう おまえはだいじな役目をしているのだ
これはシャカ族の王子のシッダルタが、修行僧として出家したのち様々な経験や修行を経て、遂に悟りを開く場面です。
ここは作品の中でも屈指の名シーンで、非常に感動的に描かれています。
しかし、初めて読んだ時にはやっぱりよくわかりませんでした。
正直、これのどこが悟りなんだろう?と感じた記憶があります。
今思い返すとバチが当たりそうで戦々恐々とします。
ブッダの悟りが僕に与えた影響
生命というものはどんな生き物も平等で尊いものだ。
…ということは小学生時分でもぼんやりと感じたり概念的に知ってはいたのでしょうが、はっきりとした「言葉」で示されたのはこの作品からだった、という記憶です。
湾岸戦争、9・11テロ事件、そして阪神大震災、東日本大震災という2度の震災などを目の当たりにして、多くの人命が失われる事件の報道を耳にする度、
- 「何で尊い命を持つ同士が殺し合うんだろう」
- 「何でこんなに沢山死んでしまったんだろう」
- 「死んだ人たちの家族はどんな気持ちなんだろう」
と感じ、その度に何故かこの言葉を思い出していたような気がします。
つながりを持つ同士が亡くなったり、殺し合わねばならないのは何故なんだろう、という風に人が死ぬ、あるいは生きるということを捉えていたのだと思います。
つまり、僕にとっては前提としてブッダの悟りのお話があったのだと思います。
幼いころだっただけにインパクトが大きかったのか、自分ではよく憶えていない割に自分の価値観形成に多大な影響があった、というのは随分後になってから気付きました。
ブッダの魅力的な登場人物が見どころ!
この2つのエピソードを通して、ブッダという作品では仏教で教えられている
- 善い行いをすればよい報いが帰って来る
- 人は何故生きねばならないか、という答え
この2つについて手塚治虫の解釈も交えて語られています。
ここからは、登場人物について少し掘り下げてみたいと思います。
手塚先生は「ブッダ」についてこう語っています。
この作品は仏教SF作品であり、いわゆるお釈迦様の仏典とは異なる
確かに、主人公のブッダ、若かりし頃はシッダルタと呼ばれていますが、仏教の開祖といった趣ではなく、むしろ亡くなるまで迷い悩みながらも懸命に生きた人のように描かれています。
そして、実在の人物から名前だけを拝借したキャラクターや、全く手塚先生の創作のものなど、様々な人間が登場します。
ここからは、物語の中心となる登場人物に絞ってお話ししていきます。
シッダルタ
まず、本作の主人公のブッダ、旧名シッダルタについてです。
仏教の開祖にして悟りを開いた人間以上の存在、と劇中では言われていますが、悩み苦しみの尽きぬ人物像として描かれています。
インドではブッダとは”目覚めた人”である、という意味です。
シャカ族の王子として、元来身体が弱く生まれます。
14歳の時ある老人と出会い、出家への道を示されます。
僧としての修行、難行苦行に疑問を持つうちに、苦行をやめてしまいます。
仲間のアッサジの死を目の当たりにして、この出来事をきっかけに悟りを開きます。
悟りを得た後は、その教えを国中に広めるために尽力し、80歳の時、沙羅双樹のもとで入滅、息を引き取ります。
常に苦難、困難に向かい解決していく人物です。
ここが好き!
ブッダは何と言っても悩み続ける人に感じます。
悟りを開く前には、弱々しく悩むを見せるものの、一度覚悟を決めるとテコでも動かない意思の強さを見せます。
こう!と決めるまでが本当に悩み苦しみ、しかし、一度決断してしまうとやり遂げるまで粘り強くあきらめない意思の強さを感じます。
時には、失敗したり失意のどん底に落ちてしまうこともありますが、翻弄されながら懸命に生きていこうとする姿に心を打たれます。
この姿は悟りを開いた後でも変わりません。
悟りを開いてからは、どっしりと構え、物事、相手をしっかり見て受け止めた後、的確な答えやお話で相手の苦しみを取り除き、心の平穏を与えていきます。
基本的に地頭が良い方なのかと感じます。
宗教家というよりも哲学者の趣です。
タッタ
この作品の、いわば狂言回し役です。
実在の人物ではなく、手塚先生の創作によるオリジナルキャラクターです。
インドのカースト制度における奴隷階級の更に下の階級である非人(バリア)として描かれます。
幼いころ、自分の家族や仲間を隣国のコーサラ国の軍隊に殺されたことで激しく憎んでおり、終生復讐を誓います。
ブッダが教団を設立後は弟子入りしましたが、ブッダが教えを広めるための旅に出ている間にコーサラ国との戦争が勃発、復讐のためにこの戦いに参加し、あえなく戦死してしまいます。
ここが魅力的!
天衣無縫な人物です。幼いころには動物の心に乗り移れるという能力を持っていました。
自分の心が赴くままに、自由に生きているという印象です。
武芸の腕も立ち、盗賊団を束ねるリーダーシップも備えています。
常に明るく陽気な人物として描かれますが、家族を隣国の軍隊に殺されたことによる復讐心は生涯消えることはありませんでした。
しかし、心の奥にちょっぴりだけいつも存在する黒い染みが、逆にタッタを常に陽気にふるまう原動力になっていたのかもしれません。
そっちに行っちゃいけないぞ、という風に比較の対象として捉え、日常生活はそっちと逆に振舞う。
これはタッタに限らず、僕も無意識にやっていました。
嫌なこと、ネガティブなことを心の隅に押し込み、逆に明るく振舞うように心がけよう、いつも明るくしていようと妙にハイになってしまったりすることもありました。
陽気には見えるものの、やっぱりどこか不自然で気が付く人は気付く、といった状態でした。
タッタには僕以上の強い復讐心があったはず、それはどんな心持ちなのだろう、きっと辛いのだろうと感じることもありました。
アッサジ
未来を予知する能力を持った人物です。
姿や言葉遣いは子供として描かれます。
初登場の時、年齢は5,6才程度でしょうか。
実は、予知能力を得る際に大きな熱病を患い一度死の入り口まで行ってしまいます。
死の入り口からこの世に戻って来る時に、何者かの存在に、予知能力を与えること、10年後に死ぬことを告げられます。
自らの死の内容をシッダルタにも告げ、予知能力を得てから10年後、その通りに死んでいきます。
その模様を見たシッダルタは大きな衝撃を受け、この出来事がきっかけで悟りを開きます。
いわば、ブッダへと導いた人物と言えるかもしれません。
ここが好き!
ブッダとは違う意味で悟りきっていると感じました。
自分がいつ、どうやって死ぬかを正確に知ったうえで、それでも日々を淡々と過ごしていきます。
そして、自分が死ぬ瞬間も淡々と受け入れます。
死ぬというのはどうなるか誰にもわからないことです。
その人生最大ともいえる不安や恐れをさらっと受け入れているように見えました。
一度死んでいる、と告げられたせいなのか、あきらめるわけでもなく絶望もせず、かといって投げやりにもならず、日々を淡々と過ごしていきます。
こうやって受け入れられる理由が僕にはいくら考えてもわかりませんでした。
強いてあげるならば、
- もう自分は死んだはずなのに、おまけであと10年生かしてもらえた。
- ならば、いろんな人の役に立つ様に生きよう
- 出来るだけ、毎日を明るく楽しく普通に過ごそう
こんな風に与えようと決めて生き切ったのかもしれません。
この姿は、時に涙を誘われました。
物語の後半ではアナンダを守護する精霊のように描かれています。
手塚治虫の「ブッダ」の感想:まとめ
手塚治虫が「ブッダ」という作品で、或いは手塚作品全般に言えることですが、
生きていることは素晴らしい
人は一人で生きているわけではない
あなたは一人ではない
というメッセージを送っていると感じました。
手塚作品から受け取った感想、それは僕にとって、生きる上で人とのかかわり方の基礎となったと感じています。
今回は、「手塚治虫のブッダの感想!僕の人生に多大な影響を与えた内容とは?」と題してお話させていただきました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。