こんにちは!ウチの部屋へようこそ!
今回は東京オリンピック男子バドミントン代表の桃田賢斗選手についてです。
残念ながら桃田選手は、7月28日に行われた予選1次リーグで敗退しました。
何故こんなに早い形で、と驚かれた方も多くいらっしゃると思います。
桃田選手といえば、様々なトラブルに巻き込まれたことでも知られています。
去年の1月にマレーシアで交通事故に遭ったことも記憶に新しい所です。
今回は「桃田賢斗の事故は何故起きたのか?五輪に与えた影響について考察!」と題して、その詳細と桃田選手に与えた影響についてお話したいと思います。
それでは、行ってみましょう!
桃田賢斗の事故は何故起きた?
2020年の1月13日、現地時間の午前5時1分。
宿泊先の男子バドミントンチームの担当コーチの元に一本の電話連絡が入ります。
チームとは別行動を取った、桃田選手担当のコーチからの電話でした。
「事故に遭いました」
電話を受けたのは日本代表男子シングルス担当の中西コーチでした。
高速道路で自分たちの乗るワゴン車が30トントラックに追突した、とのことでした。
事故の経緯
2020年1月12日、桃田選手はマレーシアでの国際大会であるマレーシア・マスターズに参加、優勝を果たしました。
この時点ではオリンピック前の国際大会での優勝であり、金メダルへの期待はいやがおうにも高まります。
日本チームはこの後、インドネシアへ転戦の予定でした。
しかし桃田選手が連戦による下肢の炎症を訴えたため、インドネシアでの大会を回避してチームとは別行動をとり帰国することを決めます。
クアラルンプール国際空港への途上、出発して30分後に事故は起きます。
ワゴン車に乗っていたのは、1列目に現地のマレーシア人運転手、2列目には桃田選手と日本チーム帯同スタッフのトレーナー、3列目にはチームのコーチと世界バドミントン連盟のスタッフの計5名でした。
ワゴン車は30トントラックに追突する形で、座席の1列目が完全に潰れ、マレーシア人運転手は死亡。
残る4名はそのまま病院に搬送され、桃田選手は全身打撲、あご、眉間、唇を裂傷、縫合手術を受けました。
事故の実況見分によると、ワゴン車のブレーキをかけたと見られるタイヤの跡はほとんどなかったそうです。
この為、前を走るトラックのスピードが遅いと運転手が感じ、車間距離を極端に短くした日本で言う所謂「煽り運転」のような状態ではなかったか、というのが現地警察の見方のようです。
事故後の様子と対応
事故の連絡を受け、日本代表チーム本隊から監督と男子担当コーチが現場に駆け付けました。
現場に着くと、桃田選手は路肩に座り込んでいたそうです。
コーチによると放心状態で「会話という会話が出来ない状態」
ジャージをかけた監督に対して桃田選手は「僕は大丈夫ですか、僕はバドミントンは大丈夫ですか」と尋ねました。
病院での治療後、15日にはしっかりとした足取りで自ら歩いて帰国、17日には精密検査を受け身体面での異常はないと診断されました。
桃田賢斗の事故は陰謀?
マレーシアではバドミントンはとても人気のあるスポーツで国技でもあります。
国民の自由参加の大会、いわゆるオープントーナメントでは来た人は全員参加させるという方針で、開始が朝の8時30分でも終わるのは翌日の朝4時ということもあるそうです。
これだけ盛んなスポーツのランキング1位の選手、しかも前日の国際大会で優勝した選手が自分の車に乗っているとしたならば、どれだけ嬉しく誇り高いでしょうか。
想像してみて下さい。
これを陰謀と考える方もあると思いますが、自分が今世界一の選手を乗せているという高揚した気持ちで故意に事故を起こせるでしょうか。
状況からして早く確実に桃田選手を空港へ送り届けたいという気持ちだったのではないでしょうか。
それが色々な要素や不幸な偶然が重なり、結果としては大事故になってしまいました。
事実だけを見れば、高速を走っているワゴン車がほぼブレーキもかけずに30トントラックに追突したのですから、自ら壁にぶつかっていったようなものです。
これでは同乗者4名が生き残っただけでも奇跡といえます。
桃田賢斗に与えた影響
事故後に日本でのインタビューで「自分は運が良いと思うか、悪いと思うか」と聞かれたときに、こう答えています。
桃田選手は「事故で亡くなった方がいるというのに、自分が運が良かった悪かったという話はすべきではない」と、このように亡くなった方への気遣いを見せていました。
1月のこの事故後、3月の全英オープンの参加、復帰へ向けて練習を再開します。
しかし、ある異変が桃田選手を襲います。
「シャトルが2重に見える」
精密検査の結果、右の眼窩底(がんかてい)を骨折していたことが分かりました。
眼窩底とは馴染みのない言葉ですが、眼球の収まっている窪みのことを眼窩といい、この下側が眼窩底です。
この骨は顔面の骨と違って薄く出来ており、眼球周りに強い力が加わった時のゆがみや圧力で骨折してしまうことがあるそうです。
事故時に怪我を負った部位から、顔面を強く打ったための骨折でしょう。
この手術を受けた後の2月下旬に練習を再開しました。
桃田健斗の金メダルにかける思い
練習再開後の3月6日、自らの意思で記者会見を開いています。
その中で「今まで、東京五輪は(一戦一戦の)延長線上にある大会だなと思っていたが、いろいろな方に激励の言葉をもらった。 東京五輪で金メダルを狙っていきたい」と述べています。
金メダルへの強い決意が感じられますね。
この会見の後新型コロナウィルスの世界的な流行により2020年のオリンピックは延期、国内や国際大会も多くが延期、中止となり桃田選手の実践復帰は12月に開催された国内の全日本選手権大会となりました。
準々決勝と決勝で1セットを失うものの、他の試合は全てストレート勝ちという成績で復帰戦を優勝で飾ります。
翌年の2021年1月3日、タイで行われる国際大会に出場するために成田空港で受けたPCR検査の結果、陽性反応が出た為大会参加は中止となります。
その後3月17日に開催された全英オープンでは準々決勝で敗退しました。
6月にオリンピック代表に内定し、7月のオリンピックは第1シードとして参加。
予選第2戦で韓国の選手に敗れ、予選リーグで敗退しました。
桃田賢斗のオリンピックへの影響
卓球などほかの競技にも言えるようですが
- 新型コロナウィルスの影響で世界大会が開催されず、それまでの世界ランキングが直近の選手の実力を表す指標とならなくなった
- 実際に対戦する機会が減り、試合感覚にずれが生じた
という理由もあるようです。
この逆で、初出場で初優勝、大会前はノーマークの選手、チームがいきなり好成績ということも今回のオリンピックの一つの特徴といえるのではないでしょうか。
桃田賢斗の事故は何故起きたのか?:まとめ
桃田賢斗選手は大事故に遭いながらも奇跡的に生還、選手として復帰することが出来ました。
何故かという理由や陰謀説にはあまり触れられてはいません。
桃田選手のオリンピックは残念な形で終わってしまいましたが、これから続く競技人生をますます充実させたものにしていって欲しいですね!
今回は「桃田賢斗の事故は何故起きたのか?五輪に与えた影響について考察!」と題してお話させていただきました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。