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今回は手塚治虫「火の鳥 太陽編」の考察と感想!時代を越えても変わらないものとは?と題して、手塚治虫のライフワークと称される「火の鳥」の第12番目のエピソードである「太陽編」についてお話していきたいと思います!
この作品は「火の鳥」の実質的な最終巻となっています。
上下巻の分冊になっており、併せて700ページ超えの大作です。
火の鳥の第1巻は黎明編から始まりますが、第2巻は未来編という1~2巻の間で古代日本と作品の一番先の未来を描いています。時代は黎明編が3世紀、そして未来編が35世紀と途方もない年代の隔たりがあります。
このタイムリープを一つの編で実現させているのが今回ご紹介する太陽編です。
時代背景は7世紀と21世紀で、この中で主人公ハリマは度々過去と未来を行き来する内容となっています。
この作品において手塚治虫の伝えたかったメッセージについて考察しつつ、僕の感想をお話していきます!
「火の鳥 太陽編」のあらすじをご紹介!
時代は倭国(当時の日本)が朝鮮半島の百済という国に味方し唐と戦った戦争、白村江の戦いの頃です。
物語は百済の王族ハリマが生きながら顔の皮をはがれ、その上から狼の首から上の皮を被せられる、というところから始まります。
そしてなんと、そのまま狼の皮と人間の顔とがくっついてしまい、狼男のような見た目となってしまいます。
ハリマは百済にいたままでは、唐の軍に殺されてしまうという占いをもとに、倭国へと落ち延びることにします。
その途中で倭国の軍の大将が瀕死の状態であるのを助け、ともに倭国へと渡ります。
その大将の計らいでハリマは狼男のような風貌でありながら、犬上宿禰という名を与えられ地方の領主としてその土地を治めることになりました。
…という”夢”を21世紀の少年スグルが見ているという描かれ方をしていますが、どちらが夢でどちらが現実かはわかりません。
同じように、犬上がスグルの夢を見ているという場面もあります。
喩えるなら「胡蝶の夢」のような状態です。
狼男の犬上と地下の住人スグルが立ち向かう運命
7世紀と21世紀という途方もない時間の隔たりがあるものの、ハリマとスグルはどちらも戦う運命にありました。
ハリマ=犬上宿禰は当時の朝廷の命令である仏教を国教とする政策に従わないとして、仏教の尖兵たち、そして国家権力と戦うことになります。
当時の朝廷は広く倭国全土を治めるために、仏教を布教するということをお題目として統治の手を全国へと伸ばしていました。
そして朝廷の最高権力者『大王(おおきみ)』は『現人神(あらひとがみ)』を名乗りました。人間界の神ということです。
倭国に上陸した折に、土着の神である産土神、狗族と出会います。犬上は人間の矢によって瀕死の状態にある娘のマリモを救った縁で、狗族と協力し仏教に立ち向かうと約束していたからです。
いっぽう21世紀でスグルは、”光”と名乗る教団を信じない一派”シャドー”の工作員として地下での暮らしを強いられていました。
”光”を信じる者は地上に住むことを許され、信じないものは地下へと追いやられました。
”シャドー”の人々を地下へと追放した後で”光”教団の教祖は自らを『神』だと名乗りました。
地下の世界では一つの大きな社会を形成しています。しかし”光”教団からの弾圧により地上に出ることは許されていないのです。
この”光”教団のシンボルが宇宙で発見されたのち、人間に捕獲された火の鳥であり、その生き血を飲んだものは不老不死になると言われています。
”シャドー”は革命を企て、”光”を転覆させる作戦を実行しようとします。
その作戦とは教団本部ビルの最上階に安置されている火の鳥を奪うことで”光”の権力を失墜させようとするものです。
ここまで話が進んだ時に、この二人にはこんなセリフがあります。
- 犬上は「気がおかしいんじゃないか 人間が神を名乗るなんて!」と言い放ちます。
- スグルは「人間は神じゃない!! 思い上がりだ……」と独り言ちます。
国家権力が宗教を統治の道具にしたときに差別を生み、争いが起きてしまうことが作品の後半で述べられています。
やはり人間は神ではないのです。
狗族の娘・マリモの生まれ変わりは誰?
7世紀に登場する狗族の娘マリモの生まれ変わりは、21世紀にも登場します。
”光”を転覆させる作戦の為、地上に出たスグルは”光”の地上パトロールに見つかりますが、難なくこれを撃退してしまいます。
この時のパトロール員の一人、ヨドミがマリモの生まれ変わりなのですが、それは物語のずっと後の最終盤で明かされます。
時代は隔たっていますが、平行世界のような構造になっています。
「火の鳥 太陽編」は輪廻転生の物語
このようにハリマの傍にはマリモ、スグルの傍にはヨドミと似たような人物配置になっています。
しかし、これは火の鳥に限ったことではありません。我々も似たような経験をしているのだ、という教えもあります。
奇しくもそれはお釈迦さまの開いた仏教です。
仏教ではこれを輪廻転生と呼びます。
- 今のあなたの恋人や、あなたの親や親友が前世ではあなたの子供だった。
- 今のあなたが嫌いな人が前世ではあなたのうまくいかなかった親だったり恋人だった。
このように”縁”というもので結ばれた魂同士は呼び合うのだ、と教えられています。
火の鳥の導く先には?
火の鳥という存在は、永遠の命を持ち悠久の時の中をずっと人類を見守っている傍観者であり、時に導き、時に断罪するという役割を作品の中では担っています。
これは神と呼ばれるものかもしれませんが、この太陽編では火の鳥は太陽の化身として描かれています。
手塚治虫は火の鳥になぞらえていますが、もしかしたら本当に”神”と呼ばれるべきものが存在して、我々の行く末を見守っているのかもしれません。
物語の後半で火の鳥が犬上の魂を21世紀へと導きます。
そこで火の鳥は
- 宗教をめぐる戦争はいつもむごい
- 宗教とは人間が作ったもので、どちらも正しいからだ
- 正しいもの同士の争いは止めようがない
だから、宗教をめぐる戦いは終わらないのだと告げます。
また犬上にこうも告げます。
- わるいのは宗教と権力が結びついた時
- 人間の権力は人間自身でなくすもの
- だから、私は見ているだけ
積極的に人間の歴史には介入せず、ただ見守る道を選んでいる。
これはまさしく太陽に象徴される存在と言ってよいと思います。
手塚治虫の死生観と「火の鳥 太陽編」のテーマの関係
手塚治虫の死生観として、生きとし生けるものはあらゆるものとつながりをもって生まれ変わりを繰り返している、ということが語られています。
このメッセージは「火の鳥」の第4巻「鳳凰編」、また別の作品である「ブッダ」などでも繰り返し伝えられています。
また、この火の鳥の作品のテーマの一つとしても「輪廻転生」が挙げられると思います。
ソウルメイトという言葉をご存知でしょうか。
魂の伴侶とも呼ばれ、輪廻転生を信じる人の間で信じられている概念です。
生まれる前の過去世に自分と強い関係があった魂は今世でも強い絆で結ばれており、それは来世でも変わらないという考え方です。
2015年にアメリカで行われた調査によると20歳から29歳までの実に94%がこの考えを支持しているそうです。
この概念は火の鳥という作品と親和性の高いものです。
太陽編の初出は1986年から1988年ですので、手塚治虫はいち早くこのことを作品へ落とし込んでいったのかもしれません。
手塚治虫「火の鳥 太陽編」の考察と感想:まとめ
「火の鳥 太陽編」の結末は、21世紀のスグルがある施設へ車で突撃、自爆することでシャドーの攻撃部隊の突破口を開きます。
現在とも過去ともつかない場所で魂だけの存在となったスグルは、時を越えてマリモと巡り合います。
その二人を火の鳥が新たな世界へと導いていく…というところで物語は完結します。
人間同士の争いには介入しないと言った火の鳥が、です。
あまりに報われない魂を哀れんだ火の鳥の慈悲なのではないか、という感想を僕はこの作品から受け取りました。
この作品を上梓後の1989年2月9日に手塚治虫がこの世を去った為、火の鳥という作品の実質的なラストシーンとも言えます。
また「火の鳥 太陽編」には、ここでは紹介し切れないほど多数の登場人物とそれにまつわるエピソードが盛り込まれています。
よろしければ、一度本書を手に取って見てはいかがでしょうか?
今回は手塚治虫「火の鳥 太陽編」の考察と感想!時代を越えても変わらないものとは?と題してお話させていただきました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。